決めた以上は「 変節せず」。ある方から教わりました。

10月になると1964年の東京オリンピックを想い出します。
そのオリンピックのポスターを制作なさったのが、皆さんもよく耳にされる、亀倉雄策さんなのです。そして、競技種目等を具象表現技術を使い様々なポスターに、仕立てられたのが、この学校、開校の祖の一人とも言える板橋義夫先生です。私がこの学校に入ったのも、山名文夫学院長からデザインとは何かを学べ、板橋義夫先生から絵とは何かが学べると、思ったからです。

そのオリンピックの3年後、私は明治大学を中退し、この学校に入りました。研究科に進み、週に一度、絵を見てもらってた訳です。
卒業後も先生がメンドウをみていらした広告代理店でお世話になっていたのですが、25歳の時にやっと、「オレの事務所で、丁稚奉公でもしてみるか?」と、お誘いを受けた次第です。一時、南青山に事務所を持ちたくなり、先生の厳しい目から離れていたのですが、又、31歳頃からは、先生の事務所の代貸の様なことをしていました。

先生から、デザインを習ったことはあまりにも多くて、数えきれないのですが、次の二つのことは、口うるさいほどに言われていました。
「そのデザインは、みんな( クライアントとそれを見る人と制作者 )のためになるのか?」がひとつ目です。「三者ともに幸せにならなければ、それは偽物だろう」ということです。グラフィックデザインは、アートでもなく、ましてや、デザイナーの自己満足でやるものではないと、厳しく教え込まれました。
二番目は「男は筋を通さなければいけないなー」「男の矜持を大切にしなければ、男の価値は、無いも同然だ」と言うことです。先生はその当時から、デザイン界の大御所ですから、いろいろな方々が事務所に出入りなさいます。先の亀倉雄策さんをはじめ、デザイン界から映画界( 先生は洋画から邦画まで、幅広い交流がありました )まで、カタギの方々からいろいろな方々までです。

「 ◯◯くんは、どうもチョロチョロし過ぎだなー、男の矜持を持ってほしいよな」とか、「 ◯◯は、会員が集めたものを、自分の名前で本にするのは筋が通ってないなー」とか、社会人としての礼儀を語ってくださいました。

若い時分に、こんな教えを受けましたから、どうにか世間様にもご無礼のないようにこの歳まで生きてこられたのかも知れません。

10月4日( 日 )女子プロゴルフオープン選手権をテレビで観ていて、選手のプロの技術に加え、社会人としての教育がよくできているなと感じ、自分はどなたから何を学んだのだろうと思い返してみると、以上の事が浮かんできました。

10月8日( 木 )六本木の寿司屋さんに伺う予定です。50代半ばの私の教え子の御二人が、席を設けてくれました。 「若い方の筋の通し方」を学んでこようと思います。

( この原稿は、10月5日( 月 )に書いたものです。)


<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>