自分の行動に責任を取れるのが、大人と思う。

人それぞれ、これをやらなければ新しい年がやってきた感じがしないという行事があるようです。

私の場合、約30年間、1月2・3日は箱根駅伝を観戦するために、箱根に通っています。ある年なんか、2日の往路を観て、3日の復路を応援した後、3日の明け方から降った雪でクルマがスリップして箱根の山から降りて来れなくなり、日テレの放送クルーに崖に落ちそうになったクルマを助けてもらったこともありました。

今年は、「応援したいから、応援に行かない」「観戦・応援目的での外出はお控えください」と、箱根駅伝の告知ポスターにも書いてありましたが、私の年頭のイベントを自粛するのも、なんとなく腑に落ちないところもあり、その上、気持の上では、お仕事先の富士屋ホテルさんへも、新年のご挨拶と応援メッセージを送りたかったものですから、例年通り、出かけて参りました。

不思議な感覚に落ち込みました。例年ならば、各大学のノボリが立ち並び、応援の方々で道ばたでは人々が鈴なり状態の中、先頭PR車の「間もなく、選手が走ってきます」の放送があり、30年間、その期待感を胸に、ドラマの幕開きを待っているのが常でした。

パトカーに誘導され、各大学の選手が打ち振られる旗の中、「ガンバレー」とか、「◯◯大学〜」とかの声援を受け、日常の道路が異空間に変わる訳ですね。選手が来る1時間くらい前から、( 今回は箱根湯本の駅前で観戦したのですが )空気がふくらんできて、全選手が走り抜け、元の状態に戻るまでの2時間ばかり、いつもの駅前やクルマやバスが通る道路が、回り舞台のように選手を迎える大舞台になる。そして、選手が走り通った後は、又、元の道路になり日常が帰ってくる。

それが今回は、旗も無く、宣伝車も無く、マイクパフォーマンスも無く、日常の中を選手が静かに通り過ぎていった。3日の復路はテレビ観戦する分には、いつもの箱根駅伝の様に見えましたが、実際、道路際で応援していると、無音状態のなかをいつの間にか選手が走り抜けていった。過去30年間の観戦風景のなかでも、特に異空間を感じた出来事でした。テレビで見ている状態は、選手の表情をアップにしたり、アナウンサーの音声が場を盛り上げますから、現場の無音状態とは全く違う筈ですね。

今回、学んだことは、慣れ親しんだ応援風景のなかに、いつもと違う演出をせざるを得なかった今年は、応援側の意識が現実についていけず、「アレッ?今のは、何だったんだろう?」という不思議な経験をさせてもらいました。

視覚に訴えられ、聴覚を刺激され、触覚、嗅覚で感覚を倍加するLIVEの素晴しさを、改めて感じさせてもらえたような出来事でした。このご時世ですから、箱根駅伝だけではなく様々なシーンで、こんな現象が起きているのでしょうね。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、そして第六感を遠慮なく使える世の中に早く戻ってほしいものですが、私達、個人個人も、できることをしっかりとやること、自分が他の人に迷惑をかけているかもしれないを改めて考えてみることと、医療現場の方々への感謝を忘れないことの大切さを感じました。

2020年4月の新入生は一度も学校に来れないまま、2年生になろうとしています。できる限りのことは校友会もお手伝いを考えています。「こんなことをしてあげれば・・・」がありましたら、教えてくれませんか。連絡をお待ちします。校友会の皆さん、自分が納得できる一年をお過ごしください。


<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>