「瞬間」にこそ、ドラマがありそうだ。

「瞬間」って、短いようで、ものすごく長い時間ではないのかなーと、感じた瞬間のことを書こうと思います。

 このメルマガ内の「会長だより」は、いつも、その月の10日頃までに原稿を届け、編集部が原稿を整理しながら月の15日を目処に、皆さんに配信されている仕組みです。

 私は、いつも事務所で、この原稿を書いています。6Bの鉛筆でサラッっと、おおよその文章を書き、パソコンで清書しています。それで、つい先程までは、8月15日のお盆のことを書こうと思っていました。その内容としては、「歳をとると、日本の良さがジワーっと解るようになるものですネー。・・・というのは、あれほど合理的にモノゴトを処理していた俺なのに、近頃どうも、日本独特のあいまいさの内に、優しさとか、切なさとか、哀しさがあるのではなかろうか・・・と感じ始めています」的に、話を進めて行く予定でした。そして、

 合理的な理由は、山口県の岩国育ちだからかもしれません。小さい頃より、岩国基地の少年たちと遊んでいて、18歳になる頃には、会話は結論から先に言う暮らしに慣れてしまっていた所為もあるのでしょう。英語の文法を振りかえってみれば、お分かりのように、「〇〇は△△で
ある。何故ならば・・・」的に頭が動いてしまいます。

 ・・・で、お盆の話は止めて、なぜ、「瞬間」のことを書こうとしたかというと、ある事で「瞬間」のことを考えていたときに、「瞬間って、表現方法がいろいろあって面白い時間だな」「瞬間には、真実が隠れているかも知れないな」と興味が湧いたからです。「100人のヒトが
あることに接したときに100通りの瞬間がありそうだな」とも思ったりして、段々と好奇心が大きくなりました。

約15年前より「ホテルにはドラマがある」をテーマに絵を描き始めました。ホテルに登場する人々には様々なドラマがあるなと感じ、絵にしてきました。

 つい最近なのですが、大河のようなドラマだけではなく、瞬きの間にこそ凄いドラマが隠れていそうだなと、感じ始めました。
最初は案外とリアルに描いていたのですが、どうも、面白くなく、でも、昨夜、「瞬間って、こんな表現もあるよなー」と思った末に、思いきって絵の具をぶちまけ、絵をそのままにして家に帰ってみました。

 朝、見ると、絵具の滲み具合とか流れた先の偶然の溜まり具合とかが、「いいネー」となっていた次第です。「瞬きの間」ですから、次の瞬間には、違う表情がありそうなものを、それがつい、テクニックを見せたいために真面目に描き過ぎて、活きている「瞬き」が描けてなかったん
ですね。・・・ということは瞬間って、的確に脳が反応していて、面白いカタチやイロを見せてくれているのに、それが、時間を重ねる毎に社会のしがらみに反応し、あるときは、無難な方に軌道修正される場合もあるようです。

パッと見て、「スキだな!」と感じれば、その方向をもっと磨いていけばいいし、「キライだな!」と感じれば、今回は秋波を感じないな・・・と、捨てればいいのか、の感じです。

 今朝の教訓は、「出会い頭の印象は、良いところを突いている」でした。
自分が感じた「?」を、世間の波に、合わせないことかも知れません。

 あのアインシュタインも言ってます。
「常識とは、18歳までに身につけた、偏見のコレクションのことを言う」

さて、お盆まで1ヶ月。機嫌のいい夏を、おつくりください。

<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>