心が揺さぶられる一年にして欲しい。
のぼりが立ち昇るサマに、心を奪われます。
箱根駅伝の観戦のために、箱根に通い始めて35年になりました。
箱根を中心にリゾートホテルを展開している富士屋ホテルさんと、あることからお付き合いが始まり、その時から一度も欠かさず、正月の2日、3日は箱根に通っています。
こんなに長い間ですから、いろんな出会いがありました。3日、復路の応援をして、いざ帰ろうとしたところ、小涌谷の直角カーブのところで明け方からの雪のためクルマがスリップしてしまい、右手の谷に落ちそうになりました。幸い、日本テレビの撮影クルーに助けてもらい難を逃れたこともありました。
又、ある年には往路を観戦した帰りの渋谷で、タクシーに横っ腹をぶつけられ、全損事故にも会いました。箱根に通うのは交通事故に出会うことが好きなのではなく、各大学が打ち立てる応援旗( のぼり )がはためくサマに心を奪われるからです。
のぼりを撮らせたら日本一の映像をつくる自信がある。
錦の御旗、幟( のぼり )旗、旗艦など、旗にはどうも心を揺らすものがあるようです。風に吹かれてはたはたと動く。音を立てて翻る。鳴り響く、響き渡る。など、旗から伝わるイメージは心躍るものが次々と現れます。
もし私が映画監督ならと、ドラマや映画の合戦シーンに会うごとにツッコミを入れています。「あんなに下手に、幟旗を撮るなんて、この監督ダメだなー」と思ったり、心の中でコンテを描いて幟旗が立ち昇るサマをイメージし、「このシーンでは、こう幟旗を立てた方がカッコいいだろう」と妄想遊びをしています。
そこで、箱根駅伝ですが、2021年、2022年と、コロナ自粛のためでしょう、各大学の幟旗が出ていません。「声援も、声を出さずに控えめにお願いします」の貼り紙のなかを、選手たちは静かに走っていくのです。テレビで見る限りでは、新春のいつもの行事に見えますが、あれは、カメラワークと中継アナウンサーの技に乗せられているだけで、現場の臨場感は残念としか言いようがありません。
自分の旗印を掲げることが大切だと思う。
箱根駅伝の幟旗は、来年こそは・・・と期待して待つことにして、自分の幟旗を立ててきた話をしてみます。
幟旗には、武田信玄公のものは「風林火山」とか、上杉謙信軍神は毘沙門天の化身ということで「毘」と入っていたりします。自分たちの標語を掲げる訳ですね。ヤル気を奮い立たせる役目がありそうです。
27歳の時、事務所をつくった当時は「画竜点睛」でした。「スゴイ企画をスゴイ絵づくりで〆るぞ」という意気込みです。40歳代の時は「喧嘩常套」と「上等」を捻り、「納得できなければいつでもクライアントとケンカするよ」と息巻いてました。50 歳のとき事務所を再出発させた時は「一気通貫」で、「オレに任せれば何でもできるよ」と突っ走ってました。
そして、この1月末で、76歳になるオジサンとしては「一閃残心」の旗を掲げます。( これは2021年の年賀状にも使ったものを、もう一度です )具体的に書きますと、「どうしょうもないだらしなさと、瞬きの間の美しさに心を奪われてみたり、切なさの中にこそ、あるはずの色気を追い求め続けたい」と。
新年早々、ダラダラと書きましたが、校友会の皆様、納得のできる一年をお過ごしください。・・・と、その前に、お逢いして、だらしない酒でもご一緒したいですね。
<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>