プライドさえあれば少々のことは、ヘッチャラ。

欲の満足のために、努力をしたり、考えてみたりしている。

 ヒトは欲の満足のために、想像力を使い、課題 ( やるべきこと )の関係性の発見をして、新しい組み合わせをつくり編集をする生き物。

 上記が2016年に、私がデザインとは何か?って考え方をまとめていた末にたどり着いた言葉です。1965年にデザインを学び始め約50年間、デザインって何なんだろうとは、いつも感じていたのですが、うまく整理できずに自分の会社をつくり、学校で教えはじめ毎日アクセクと動きまわり、50年間の末に、「そうか~、こういう生き物だったのか~」と結論づけた途端、毎日が面白く、楽しく、機嫌よく、過ごせるようになりました。

 当然、学校で教えていた「デザインとは?」も明確になりましたが、気がつくのがちょっと遅すぎたために、その考えを伝えきれないままに、定年でレギュラーで教える立場からは退くことになりました。

欲というと、聞こえが悪ければ、プライドと言い換える。

 7月8日 ( 土 )に、卒業制作のための第一回目の授業をしてきました。第2回目は7月22日、第3回目は8月25日、この3回で方向を決め、夏休み明けからは、「これが私の卒業制作です!」と言い切れるものを学生さんと一緒につくって行くつもりです。

 2022年、2023年の2月、卒業審査に立ちあわせていただいた時に、何か作品にもの足りなさを感じていました。講師の先生方も一生懸命、教えている様子だし、学生さんも真面目に学ぼうとしている。だが、何か変だなーと思い、学生・作品・講師の三角形をつくり、よ~く眺めてみたら、三角形の真ん中に、「欲」という字が浮かんできませんでした。「私が指導すれば、こんな学生を育てる」とか、「僕が( 私が )つくれば、こんなカッコいいのをつくる」とか、「観る人が感動するものをつくらせる、つくりたい!」とかの欲を感じられませんでした。

やさしさって、相手の目線の高さに合わせて考えてあげること。

 先の書き出しで書いたように、「ヒトは欲の満足のために、想像力を使い、課題の関係性を発見し、不満・不足・不安・疑問の解消、欲望・願望・理想の実現を目指している」訳ですから、どうも欲を感じられないのは、おかしな現象ではなかろうかと、一人、憤慨しておりました。

 この学校の開校の祖、呉 永石理事長、山名文夫初代学院長、板橋義夫元日宣美事務局長( 私の師匠であり、とうとう、追いつけなかった大先生ですが・・・)は、学校設立にこんな夢を持っていたと聞きました。「4年制大学がやりきれていない、学生がわかりやすいデザイン教育を始めたい」と。

 作家の井上ひさしさんが遺したコトバですが、「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に」と、全てのことに対処すれば、すべて、うまく行くはずなんですが・・。

 でもね、ちょっとこれをやるには、相当、心が練れているか、私のようなアホ・バカでないとできない芸当なんですよね。みなさん、その時は助けてください。

<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>