時間って流れるものではなく、つくるもの。

時間の使い方を見直してみるのも、必要かもしれない。

 早いものですね。もう11月の中旬です。つい先日までは、このクソ暑い夏はいつまで続くのだろうかと思っていたのに、街には年末恒例のイルミネーションが灯り始めました。  

 振り返ってみると、このところどうにか時間を上手に使えるようになりました。事務所を渋谷から自宅に移し、2年間が経ちました。それでも週に2回くらいの割合で渋谷には出かけなくてはいけないのですが、その打ち合わせの、あるいは待ち合わせの前後に2時間くらいのアキ時間ができることがあります。  

 以前は、事務所へ帰り時間調節をして再度、出直すことをしていましたが、今はそうもいかず、映画を観ることを覚えました。  

 ある一ヶ所で、6~7本の映画をやっているところがあり、行き当たりばったりで、映画を選んでいると、面白いことに出くわします。

突然の時間で、うまく気分が切りかわる時もある。

 そのアキ時間帯でやっている映画では、タイトルを見てもどんな内容なのかもよく分からず、突然、日常の流れから異空間に飛び込む仕組みです。  

 期待しながら観に行ったものには、それなりの満足感や期待どうりではなかった感想等も生じるのですが、この2~3時間を埋めるための小旅行には思わぬ出会いがあったりで、楽しくもあります。  

 根が小心者のせいか、あるいはアキっぽいのか、仕事にせよ遊びにせよ2時間と同じことに向きあっていられない性格なんですね。仕事を2時間やり、絵を2時間描き、考え事を2時間やり・・・と、同時に4~5つのことをこなしているのが現状です。そこに考え事が混じり込んでいる時なんかは、他のことをやっている時も、あるアイデアを思いついてしまう。アタマが忙しくて仕方ない・・・。

時間をつくるってココロを浮遊させる。贅沢な遊びかもしれない。

 時間の使い方を、もう少し深掘りしてみるとどんな仕事にせよ締め切りというものがあります。それに合わせて時間を逆算して予定を組み立てる。ある部分では、それがあるからこそ世の中との約束を守ることで、棘が立たず日常が動いているのかもしれません。  

 正直に話すと、納得いかないことにも締め切りという約束事のために、自分の妥協点を見つけ出している部分もある。  

 この頃思うのですが、毎日の暮らしの中に、締め切りのない自分の中だけで、醸成・熟成を繰り返すことを許されるナニカを持っている方が、よいのではないか?一晩、寝かせてみるとか、三日間、放っておくとかしてみると、また、新しいナニカが出てきたりする。そして、変化しなくなった時が仕上がりではなかろうか・・・。納得できるものに近づくことができる。  

 日常から、自分だけの時間に突然入り込む。1年くらい前からこの時間と仲良くできるようになりました。皆さんも、少し時間ができたとき、「自分の時間」を考えてみるのも面白いですね。


<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>