出逢いが想像力を連れてくる。
2021年4月9日に、日本デザイナー学院の入学式がありました。
LINE CUBE SHIBUYA ( 旧 渋谷公会堂 )で、時間は短縮ではありましたが、無事、つつがなく執り行われました。一年前は入学式が出来ない状態でしたから、新一年生、ご家族の方々もほっとしておられるのではないかと思います。
その新一年生のために、4月14日に特別授業をやることになりました。彼らの夢が膨らみ、これからの2〜3年間を面白く、楽しく、密度の濃いものにしてほしいものですから、授業の予定を次の様に組みました。
前半は自己紹介がてら、1969年より始まった村中 凱のデザイン人生50余年を喋り、後半は今現在、やっと辿り着いたデザインとは何だろうか?を話し、最後に、新一年生に望むことの順としました。
1947年生まれの、2021年度で74歳になってしまった訳ですが、話を分かりやすく進めるために、生まれてからこのかたの略年表をつくってみました。27歳で自分の事務所をつくったのですが、まず、事務所の引っ越しを18回もしていました。表参道近辺をウロウロしていますが、家賃・光熱費等、あわせて150万円くらいの時代もありました。その上、何をとち狂ったのか、事務所の名称も9回、変えておりました。
「どうも、今までは、みかん型の事務所をやっていたけれど、ぶどう型の事務所の方が動きやすい」とか、「企画力の強い事務所にするためには、こんなメンバーが欲しい」とか、「いつでもクライアントとケンカできるようにしておきたい」( いつもではなく、理不尽なことが起きた時には・・・ですね )とか、好き放題のことをやってきた様にも感じます。
唯ひとつ、間違いなく嬉しいことは、節目節目に、いい出逢いをさせてもらったことではないでしょうか。仕事を始めた一年目から、毎日40案、プランを考えさせられ、「デザインって考えることから始まる」が分かってきました。そして、私の大恩人である板橋義夫先生 ( 日デで教えてもらい、私は先生が亡くなるまで、金魚のウンコの様にひっついて歩かせていただきました)には、男の筋の通しかたを教えていただきました。又、あのクライアントのあの方からは我慢のしどころとプロデュースするとは何かを教わりました。もちろん、教え子さんであったあの後輩からも、強い組のまとめ方を教わりました。教え子があんなに立派になって、嬉しい限りです。あの時に、あの方から。すべて今、私があるのはあの時のあの出逢いがあったからだと考えられます。
そんなこんなの内容で、新一年生にいい出逢いがあるといいですねと、夢の育て方の一方法を、喋ってこようと思います。
HOW TO ? ではないデザインの何かを学生さんに話したくなりました。みなさんのお手伝いが欲しい時が来る予感がします。その節は、心よく、ご協力をお願い致します。
校友会のみなさんも新年度が始まっていると思います。機嫌のいい毎日にしてください。( この原稿は4月12日に書いたものです。松山英樹くんのマスターズ優勝が報じられています。次回にでも、このことあたりを書こうかな )
<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>