教えなくなったら、教えることの難しさがわかってきた。
心の内を、表に出すのが表現だと教わりました。
3月の何か儚くて、それでいて優しく肩に手を添えられるようなサマがどうも苦手です。もう40年も前の話ですが、「桜前線とともに北上します」と、その頃お世話になっていた大先輩からハガキをいただきました。
自分の事務所をつくり、ただ勢いだけで突っ走っていた頃ですから、その大先輩の ( コピーライター出身の )クリエイティブディレクターからの便りには、自分のつっかえ棒が急に無くなったような喪失感を味わいました。その時から、定年退職という言葉が自分の中に何か落とし穴のような形で棲みつきました。
自分の得意分野での駆け引きもできるようになっていた頃ですが、その大先輩にはいつも怒られ、広告づくりや表現者のイロハを教わっていたように思います。少しデザイン畑では、天狗になっていたためか、『お前さんのつくるものは、「おっ」っとは思えるが「あっ」とは思えない。そして、観る人を「なるほど」と思わせない。「心が動かないんだよ」』と、しょっちゅう叱られていました。ぱっと見はいいのですが、訴え方が薄いとも言われてました。
その大先輩は定年退職で、北の国へ帰られたんですね。去り際の見事さも見せつけられました。その頃から3月がどうも好きになれず40年間が過ぎていきました。
教えることは、反省の繰り返しです。
自分が事務所をやっている訳ですから、社員が会社を辞めていく時は寂しい気持は起きてきます。でも社員の場合は、次のステップに行った方が彼にはいいことかもしれないと、ある程度は納得できるのですが、仲間や好きな先輩方には転勤という不可抗力もあります。自分の気持ちをコントロールできないところで起きてしまう定年退職や転勤が起こるのが3月なんですね。それに、3月は卒業式というのもあります。学校の卒業式は、次の社会への入学式につながる訳ですから、そんなに変な寂しさはないのですが、どうも「卒業オメデトウ」ともいいずらい。
3月8日、日デの卒業式がありました。この2年間ばかり、レギュラーで学生さんとは付き合っていませんから、以前のような充足感と喪失感は感じませんが、卒業審査などにも立ち会って感じることは、現場の先生方が十分なコミュニケーションを取ってくれたのだろうか?という一抹の不安は残ります。
共感して納得すれば、ヒトは動く生き物です。
先の2月15日号のメルマガにこんなことを書きました。「テーマやコンセプトが曖昧なままでは、制作させません。ギリギリまで思考することの大切さを学んでもらいます。すなわちそれは僕が、努力や作業量の多さが持つ安心感や、やってる感を信用していないからです。大学生活や卒業制作は長い人生のほんの一瞬の出来事です。だからこの時期に考えることの大切さを体得してほしい・・・」ある大学の先生の、学生さんに対する姿勢に同感です。どうも今、教える側に、この信念が欠けているようです。
40年前、大先輩から叱られつつ教わった「人は共感し、納得しないと動かないんだよ」が、自分のコミュニケーションの核になってきたこの頃、やっと出来事を冷静な目で見ることができるようになってきました。
学生さんに、共感して納得してもらうために、2023年の後期授業から、そんな授業を用意できないかな~と、学校と相談中です。それが実現したら、どなたかその時は手伝ってくれませんか。
<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>