「読まないで語る」ことで、聞き手は頷いてくれる。

伝えたいことがある時は、原稿を読まない方がいいみたい。

 先日、6月の頭ですが、会社の経営者の方々に向けてデザインについての諸々を喋る機会をいただきました。ロータリークラブという会があり、その会員に向け、「デザインはココロのマッサージ」というタイトルで簡単な講演をしてきました。  

 学校でデザインについて喋る時は、皆さんの授業を受ける目的も一応?はっきりしていますし、そのためには今のこの時季には、こういう内容がよいのではないかと、話の進め方を絞りこむことができます。しかし、今回の方々は50歳から80歳くらいまでの職業もバラバラで、デザインについての知識も興味もバラバラでしょうから、デザインについての何を喋ろうかと相当悩みました。  

  決まった時間内にという制約もありましたから、原稿もつくり一応の流れを組みたて、会場はヒルトン東京ホテルでしたので、1時間前にはホテル内の喫茶室で原稿の再読もしていました。その時、悪魔か天使かはわからないのですが、「いつものガイさんらしく原稿どうりではない方が面白いんじゃない?」と、頭の中で、囁かれました。 

役者さんのセリフは別と思うけど、伝えたい時にはココロが大切ですね。

  ずっと昔、学校の卒業式の当日の朝、卒業生代表( TK君、校友会副会長、小舘さんの同級生です )の挨拶原稿を卒業式会場に行くクルマの中で破ったことがあります。「もっと自分のコトバで話を進めた方がみんなも感動し、感心すると思うョ・・」と囁いてしまいました。  
   
  その結果、TK君は話のまとまりがつかなくなり、卒業式会場でヤジや励ましのコトバ?が飛び交う異常な光景を目の当たりにすることになりました。次の年から現在まで、あれほどイキイキとしたヤジや笑い声の混じった卒業生の挨拶は聞いたことがありません。1983年の頃でデザイン学生さんがギラギラ・キラキラしていた頃の話ですから「あの頃は面白かったんだナー」と、ご笑納ください。  

  一方、映画やテレビでも役者さんがしっかりしているセリフには、ココロを持っていかれることが起こります。「原稿を読むのではなく、キモチで話したいナー」と、その囁きに従うことにしました。

伝わるには言葉は7%、残りの93%はその時の表情だったり空気感みたいです。

 チラッと会場を見た時にコレでいけると確信はしました。一応、失礼のないように「原稿も用意してきたのですが、30分前に悪魔か天使かに囁かれまして・・」と前置きをして、その時、頭の中を駆けめぐっていたことを喋らせていただきました。  

  その講演が終わった時点でみなさんの反応は「こんなデザイン論に接して目からウロコだった」とか「いい時間をありがとう」という旨の言葉をいただきました。  

  用意した原稿があってこそ、それを自由に出し入れした結果で「聴きごたえのある話」に仕上がったのだとは思っていますが、やはりヒトに何かを伝えたい時には自分のココロの奥まで見せるつもりで、自分の言葉で話すことが大切だなーと感じた6月でした。  

  2025年10月に、この学校も創立60周年を迎えます。  
校友会も大きなイベントを企画中ですので、ご期待ください。 

<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>