校友会も年度末ですので、とっておきを書いてみます。

見方を変えると、違う切り口が見えてくる。

  3月10日、卒業式に出席してきました。前日までの寒波も一段落し、春という季節にふさわしく、いい天候といい卒業式になりました。これから、みなさんとの接触もあるかと思います。優しく後輩をご指導ください。


  とは、言いながらこのところずーっと、3月を苦手な月だなーと感じていました。学生さんたちは学業をおさめ、社会に旅立っていく訳ですから、一応はめでたいことなのですが、送る側としては、なんとなく淋しさが残ります。

  それに、一緒に働いていた仲間の転勤・退職・定年というヤツがどうもいけません。狭い日本ですから会おうと思えばいつだって会えるのですが、その転勤・退職・定年には、こちらは何もしてあげられない。そのもどかしさみたいなものが、自分の機嫌をうまくコントロールできないものにしていたようです。

 そんな折、見方を変えればそうでもないのではないか・・という考えを持てるようになりました。自分との関係は薄くなったり浅くなったりしても、その人は又、違った新しい関係に出会えるのではないか、その時だろうと思えば、納得できるようになったということです。

ヒトは皆、組み合わすことで関係をつくっている。

  同じように、デザインについても見方を変えれば、解決の糸口はいろいろあるナーと感じています。これまでは「デザインは問題解決業である」と思っていましたので、あることに直面すると、まず問題はどこにある?これからの課題は?という風に頭を動かしていました。すると、「問題と言えるようなものは、そんなにないなー」ということに出くわしたりします。

  そこで、見方を変えて、「デザインは関係改善業である」と設定することに決めてみました。あるコトと、あるモノと、あるヒトの関係は?と問いかければスラスラと状況を言葉にすることができます。この状況をこうしたいから、こんなメッセージが必要だなーとか、そういう関係にするにはこんなやり方が良いのかもしれない、届きやすいかもなーとか、考えるアタマも整理しやすくなったみたいです。問題はなくても関係は、良くも悪くもイロイロと存在する訳ですから。「その関係をこうすれば、もっといい関係になる・・を探すのがデザイン」という見方です。

納得ができれば、あとは、動いてみるのもいい。

  この「デザインは関係改善業である」という考え方は、とても便利で、あの人との関係をどうしたいのか?あのコトとの関係をどうすればいいのか?あのモノとの関係はどうしたいのか?などと、生きているすべてに対して考えることができます。・・ならば、こういう手はどうだろうかと、到達したい目標に近づくことができるようです。

  大袈裟に言えば、生きることをデザインするとも、とれるようです。「そうかー、だからデザインは世の中からなくならないのかー」と、頭の中がスッキリします。

  すっかり春になってきましたね。この「デザインは関係改善業である」という捉え方は、自分が納得できる生き方ができるようになるはずです。

 試してみてください。村中もたまには、いいこと言うなーと、一人納得しています。


<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>