なぜ?を考え、深めていくと本質にたどりつける。

自分の頭の中に、潜り込むのは楽しい。

  一年前の11月20日に事務所を自宅に移し一年間が経ちました。なにせ、47年間も事務所を表参道を中心にして、遊んでいましたので自宅での仕事が出来るのかなーとちょっと心配なところもありました。

  まず、朝晩の通勤時間がなくなり、時間を余裕を持って使えるようになりました。そのために新しく発見できたことは、WHY?って考える時間が以前より多く使える様になり、その穴を深く掘ることができるようになりました。

  『常識は18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない』という名言をアインシュタインが残していますが、どうもこの言葉が好きで、そうだよなーと共感しっぱなしの後半生です。その上、『間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしてない人だ』とも言っていて、自分の都合のいいように理解して、失敗をした時の励まし言葉に使用しています。

  こんな生き方をモットーにしていますから、しょっちゅう、何かしらの困りごとにぶつかってしまいます。

WHY?がイモズル式に現れて、最後にパァーッ!と解決するのが面白い。

  WHY?って考えるのはどうも郷里の影響があるようです。山口県の岩国市というところの出なのですが、小さい頃から近くに米軍の岩国基地がありました。

  中学生になるとバスケット部にいた関係からもあるのですが、基地の少年たちとも遊び始める訳です。そんな時から彼らと接していますと会話がすべて、「〇〇をしようよ!△△だから・・・」になってしまいます。結論をまず言い、次に理由を述べる例の方式です。

  そんなこんなもあって今だに、WHY?って頭が動いてしまうんですね。そしてある時、サイモン・シネックの「WHY?から始めよう理論」に出くわしてからは「やっぱり、そうか!」と我が意を得たりで・・・。それ以後は、こればっかりです。

  それの弊害もあるのですが、つまんないことをダラダラと話す人に接すると、その人をバカ呼ばわりしてしまいます。

相手を想って話を組み立てると、話の筋が見えてくる。

  最近では、バカ呼ばわりするのはあまり良くないなーと控えめにはしています。が、なかなか、この癖が治らず、意識していないところで困りごとが発生します。

  近頃、私のまわりにどうも納得できない人がいましてね、困ったもんだなーと、スッキリしない日々を過ごしていました。そんな時、ある本を読んでナルホドねと自分ではスッキリとしたところではあるのですが、その本には、『ヒトは既知や未知の話にはうなずけない。ヒトが惹かれるのは伏知( そうかも! )と思える時』と書いてありました。( 伏知はこの作者の造語です )

  そういえば、その人の話しっぷりが、すべて既知=( 当たりまえでしょう)と未知=( なにそれ? )で、話してくるんですね。あー、その部分に自分は拒否反応をしていたのかと、自分が見えてきました。

  本気で何かを人に伝えたい時こそ、よーく考えて話を組み立てないと相手が納得・共感してくれないものだを、改めて学びました。ヒトに何かを伝えたい時は、相手を想うところから始める。いい方法ですね。

  12月6日に校友会の忘年会をやります。メルマガで配信しますのでヨロシクです。やっと人と会えて、距離も近くなったことだし、いい時間にしたいですね。

<校友会 SO-ZO-NE 会長 村中 凱>